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制作について、2024年

タイムラグー時間の在処ー


安部典子

「鑑賞者は流れ続ける時間の生きられた過去の時間を目撃する。」

“タイムラグ(時間遅れ)とは、逆説的に制作の結果として現前する“今を指す。


意識の直接的な流れとしての純粋な継続性。


1999年から始まった"Works of Linear-Actions”と題された作品シリーズは、例えば木の年輪や波のように、紙の上にドローイングの線を引き、またはカットした層を積み上げ、物理的かつエモーショナルにもう一つの地形を出現させる。あえて紙という素材自体には手を加えず、ミニマルに、完全なる他者としての距離を保ち続ける。


紙をカットするごとに時間が付随するように、制作とは、いわばその「遅れ」をグラデーションとして地続きに、又は視覚的にかたちを追うことによって、今と接続させてゆく行為なのかもしれない。


それはいつしか、私の「表現言語」となっていった。


そして今、私は自然(ネイチャー)から自然(ピュシス)という哲学的変換に立ち会い、改めてアートは”人工物(Artificial)”であることを再認識し、制作を通して”今”という一枚を産出し続ける。


ハンギングによる彫刻作品では、幾度となくトリムを繰り返す。切り込みが入って形同士のつなぎが切れた途端に、紙が重力によってバランスを失って垂れ下がり、大きく歪みが生じる。逐一切り直し(トリムし)歪みを取り込みながら、重力のいたずらによって崩されたバランスをもう一度獲得させていく。次第に欠けた方の形が大きくなり、無いかたちに視線のアプローチは移っていく。シャドウとしての物質(オブジェ=作品)と、自らの精神的な領域との”タイムラグ”は、いわば裏拍子のように表裏一体に存続する。スパッと切り出された切り口に留まる、この世界の無数の瞬間(レイヤー)の間に。


パンデミックを経験し、世界の大転換期に立ち向かう今、仮想空間へ参入していく人類の脳化の加速スピードにブレーキは通用しない。今やオールドメディアと称されるが、彫刻という表現方法によって、記憶としての過去、知覚としての現在、期待としての未来が、制作の中で行ったり来たりしながら徐々に肉付けされていく。グラデーションな時間がレイヤーとなって透視図的に繋がり、一人間のごくささやかな行為を通して意識し血肉を与える行為。ある種主観的にかたちを現出させ、他者へと差し出していく、その継続性。秩序を探るベーシックなアップデートは日常にある。



一方で、印刷物としての紙へのカッティングは、必然的に意味を帯び、コンセプチュアルに展開する。

教科書と中学生、アーティストのカタログや新聞等既存の情報の場に、表現言語としての、カッティングによる穴を媒介とした関係性(主体の在処)を探っている。

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