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安部典子、カッティングの軌跡 2022年
中村屋サロン美術館 太田美喜子

絵画・彫刻から始まったアートはまず視覚に訴えるもので、観る側は見た目の華やかさや巧みさ、分かりやすさに引き寄せられがちだ。しかし、そうしたことから一線を画した安部典子は、目には見えない意識の奥底にアートとしての表現価値を見出した。


安部の代表作といえば、白い紙をカットして何百枚も重ねた「A Piece of Flat Globe」シリーズが挙げられる。繊細で美しいレイヤーが人の心を惹きつけるこの作品は、「地のかけら」という意味の通り、気の遠くなるような年月をかけて砂や石、時には朽ちた植物や動物の死骸をも取り込んで堆積してできた大地の層を連想させる。その造形は、安部のフリーハンドによるカッティングという動作の積み重ねできたものだ。

安部が制作活動を行っていたニューヨークで生まれたこのシリーズは、現地のアートファンを魅了した。グランド・キャニオンに代表される、広大な自然を持つアメリカ大陸に住まう人々の感性に合ったのだろう。

作品のキーワードとなるのは「時間」である。そこには、カットされた紙とカットした安部自身の時間の経過が存在している。安部が紙と向き合った時間とも言い換えられよう。これをカッティング・プロジェクトと命名し、安部は20年以上続けている。

安部のカッティングラインは、現実の空間と行為によって現れるもう一つの世界の境界線として存在する。作品を前にしてそのラインを意識した瞬間、現実から乖離していき、安部が創り上げた世界に引き込まれ、投げ出されていく感覚に陥るだろう。知るはずのない世界であるにもかかわらず、どこかで見たような懐かしい想いに満たされる。我々はパラレルワールドに迷い込んだ考古学者さながら、時の層から記憶を掘り起こそうとするだろう。

哲学者のカントは、時間と空間は人間の感性に先験的に備わっているとしたが、安部はカッティングによって、その時間と空間の可視化を試みる。



2022年春、中村屋サロン美術館で「安部典子展 in the room ― 横顔のエロシェンコ」が開催された。

ここで安部は、長いロール紙に無数の雨を降らせた。

《カーテン越しの軌跡》と名付けられたこの作品には、安部の手によってたくさんのドットが切り抜かれている。これは、カッティング・プロジェクトの軌跡のようでもあり、アーティストの人生の軌跡とも感じられるものだ。

過去・現在・未来。ロール紙を人生と例えるならば、そこにドットとして刻まれるのは、人が生まれて成長し、やがて老いて滅んでいく時間の中で経験した感情や記憶だ。人が生きていく中で覚える感情は、心地良いものだけではなく、時に苦しかったり、切なかったりするものである。そうであれば、ここから抜け落ちたドットの一つ一つは喜怒哀楽の欠片とも考えられるだろう。また、時間を経る過程で自ら切り捨ててきたものでもあり、意に反してこぼれ落ちたものとも解釈できるのかもしれない。

ここには「A Piece of Flat Globe」とはまた違う立ち位置でカッティングを行った安部がいる。

安部がカッティングを通して描いた軌跡、そうして切り抜かれたドットから漏れる光のなんと美しいことか。

 そしてそれは、まだ続いていく。

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